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エンジニアの"ちょい先"を考えるメディア

技術を極める以外に何ができるのか? カオスな環境へ飛び込んだITエンジニアのキャリアの分岐点

はじめまして。並河祐貴(@namikawa)と申します。Webテクノロジーが大好きなエンジニアなので、若い頃は技術系の書籍や雑誌記事を書く機会をたくさんいただきました。今回は自分のキャリアの話を書かせていただくということで、ずいぶんと歳を取ってきたのだなと感じています。

思い返せば、20代の頃はWebテクノロジーに強い興味を持ち、サービス開発の現場でエンジニアリングを極めたいと考えていました。そんな自分が15年ほどたった今では、まさか経営・マネジメントに近いポジションで働いているなど、1ミリも想像していませんでした。ことに最近では「自分の経験のホワイトスペース」を埋めるべく、いろいろなことに挑戦しようとしています。

これまで紆余曲折あり、決してきれいなキャリアを歩んできたわけではありません。何を考えて今のキャリアが形成されてきたのか、これからをどのように考えているのか、これまでを振り返りながら紹介できればと思います。お読みいただいている方の何かの参考になれば幸いです。

35歳、エンジニア人生の岐路に立つ

以前より、ITエンジニア(どちらかというとSEの文脈が強いですが)には「35歳定年説」というキーワードが存在しています。最近では実態も大きく変わっていますが、35歳に近づくと経験値や部下も増え、PMや管理職などマネジメントレイヤーに転身していくという通説です。

10年ほど前の私もご多分に漏れず、この定年説を意識しているつもりはないものの、35歳を前にして結果的にそういったキャリアを歩んでいると感じており、これからどうしていくべきなのか真剣に考えるようになりました。IT業界でもWeb界隈は特に歴史も浅く、参考になるロールモデルも少ない中で、40歳を過ぎたWebエンジニアの働き方がイマイチ想像つかないところもありました。エンジニアとして突き進むのか、マネジメント能力を強化していくのか、両方ともバランスよくやるべきか、でも中途半端になったりしないだろうか。多くの先輩方が、同じように悩んできたのではないかとも思います。

当時、私はエンジニアとしてそれなりの経験と実績を積み、外部発信も積極的に行ってきたため、そのフィードバックからも市場からそれなりに認められているという自負がありました。自分のエンジニアとしてのポテンシャルを100点満点で考えたときに、既に80点くらいには到達している感覚がありました。あと5年エンジニアとしてプレイヤーに専念すれば、90点にはできたと思うのです。

それでもなお、自分が100年かかっても能力的に追いつけないエンジニアが、世界にはたくさんいます。80点の私に対して1,000点も2,000点も取れるエンジニアがいるという現実。その中で私が自然と行き着いた結論は、それならば自分は「エンジニアリング」と「何か」を掛け算することで市場価値を高めていこう、という考え方でした。

そのためにはエンジニアリング以外にも雑多にいろいろな経験をして、掛け算可能なスキルを増やしていく必要があります。そういった理由から、35歳から次のキャリアとしてスタートアップで仕事をすることに興味を持ちました。カオスでかつスピード感のあるスタートアップ企業に身を置いてみたいと考えました。

そして実際に多くの経験が得られましたが、その前に30代半ばまでの私がどのようなキャリアを歩み、どんなスキルを習得してきたかを話したいと思います。

技術を極める中で意識した土台にあるビジネス

私が最新のIT技術に興味を持つようになったのは、新卒で入社した会社で研究開発部門に配属され、当時の上司やチームに強く影響を受けたことによります。技術的なコンテキストで社内外のプレゼンスを上げていくこともミッションの1つだったため、社内では技術検証の業務にあわせて技術レポートを書き、実際にプロジェクトへの導入支援の後には社内セミナーを開催し、知見の共有を行ったりしていました。

さらに当時から社外でも個人ブログを公開しており(2005年10月開設)、技術的な記事がソーシャルネットワークで注目を集めて、雑誌への寄稿や勉強会やカンファレンスに登壇する機会を得ました。イベントの懇親会で「あのブログの人ですね」と言われることも多く、プレゼンスを上げることの重要性と、技術に投資して発信し続けることで、将来の仕事につながる可能性があることを学びました。

入社から4年目で、当時在籍していた会社の社内ベンチャーだったソニックガーデンに参画します。リソースも少なかったため、エンジニアリングだけでなく営業・バックオフィス・事業責任者などさまざまな役割を経験することになり、技術だけでは良いサービスが生まれないことや、顧客に価値を提供する難しさ、事業を成功させる難しさを知りました。この経験から、(技術そのものを売るビジネスでない限り)技術の土台に事業が存在することを強く意識させられました。これは現在のマインドにも色濃く反映されています。

その2年後、30歳を迎えたタイミングで改めて技術に向き合い、改めてエンジニアリングに集中するため転職を決意します。大規模なWebサービスで自身の腕試しをしたかったこと、サービスが成功する過程に触れたかったことから、多角的にさまざまな事業やサービスを運営していたサイバーエージェントに移り、希望通り「アメーバピグ」という右肩上がりの大規模サービスで、開発と運用を経験することになりました。

新機能をリリースした際の、ユーザが一気に押し寄せてくる強烈なトラフィックは忘れられません。サービスは多くのユーザからご利用いただくことで、想定外な事案がたびたび発生することとなります。毎晩遅くまでトラブル対応に追われたこともあり、多くのユーザにご迷惑をおかけしました。サービスが大きく成長している以上、その継続性や安定性を保証しないことには、事業として先が続かなくなります。それを技術で支える・支えなくてはいけないというプレッシャーはとても大変でしたが、エキサイティングでやりがいもありました。

トラブルには泥臭く対応しつつ、並行して新しいアーキテクチャを導入し、多くのコンポーネントを冗長化させるなど改善の結果、2年ほどたつと即時対応が必要なトラブルをかなり減らすことができました。その間に事業も成長し続けていたことを考えると、本当の意味で「エンジニアリングでビジネスを支える」ことができたという成功体験につながりました。

プレイヤーとマネジメントの往復で見えた限界と可能性

アメーバピグが成長していた頃に、マネジメントにも取り組み始めました。最初はプレイヤーとして現場に集中できていましたが、途中でチームを持ち、プレイングマネージャーとして振る舞うようになります。チームのメンバーが増えるにつれて調整業務も増え、現場から離れざるを得ない葛藤と、マネージャーとしては成果が上げられず、やはり向いていないと感じたことから、プレイヤーに戻してもらいました。

ところが、プレイヤーに戻って気づくこともあります。目の前のやるべき作業に集中できる一方で、自分が決められる(口を出せる)物事の裁量も業務ミッション+αほどに小さくなり、物足りなさを感じるようになりました。自分一人の力でできることは限られていて、大きなことを成し遂げるには、チームで成果を上げていく必要があるのです。

周りにマネジメントをやりたい人材が少なかったこともあって、会社から求められる形で私は再びマネージャー職に戻り、チームを率いるようになりました。その頃の体制においては、マネジメントは誰かがやらないといけないことであり、それでチームのパフォーマンスが最適化されるのであれば、自分の仕事として受け入れよう。そのような気持ちで取り組んでいた記憶があります。35歳を前に、キャリアの掛け算を考え始めたのはこの頃でした。

私にとって幸いだったことは、それまでにSNSや勉強会などを通じた社外の知り合いが多く、情報交換や相談の機会もたくさん持てたことです。特に、自分の5年以上先を走っている方の考え方は、ロールモデルとして参考になりました。

ある日、知り合い伝手でとある経営者(上場も経験した起業家)と話をする機会があり、そこで「仕事を選べる・挑戦できるうちに、ストック(資産)を得ることを考えなさい」というアドバイスを得ました。「たとえお金のために働くことになっても、手元に余裕があれば仕事を選べるし、好きなことができる。40歳までにこのくらいの元手があれば投資でも収入を得られる。ほら、何でもできそうでしょ?」と。

それまで最適なキャリアばかりを考えていた私にとって、これはエポックメイキングでした。結果として資産を最優先する選択をしたわけではありませんが、キャピタルゲインには夢もあり、少なくともスタートアップに興味を持つきっかけの1つになりました。

先に書いたようにスキルと経験の面でもスタートアップに関心があったことから、転職先としていくつかの企業の話を聞いてみることにしたのです。

マネジメントが「できる・できない」と「やる・やらない」

スタートアップにジョインする際に重視したのは、どうせなら組織における自分の裁量や意思決定の機会を最大化したい。そのため、キーマン(経営陣)と価値観や話が合うかどうかでした。

これは今でも間違ってなかったと思っており、大枠の価値観や認識が揃っていると、何かを決めるときにコンセンサスを得るためのコストが少なくなり、信頼して任せてもらいやすくなります。何より、自分で決め(て任せてもらっ)たことに対して、コミットせざるをえない状況を作りだせる意味は大きいと思います。

ジョインしてからは、さまざまな経験をしました。リソースが潤沢にあるわけではないので、人の足りない情シスの業務から、プロダクトマネジメント、ときには顧客を訪問することもありました。比較的大きな資金調達があり、事業を大きく伸ばすフェーズのダイナミズムを感じられたことも刺激的でした。

当初は目の前のサービスやシステムをエンジニアリング観点で正しく、自分自身の手によって、あるべき姿にすることを考えていましたが、組織的に一定の再現性を持たせてマネジメントすることにシフトしました。強い開発組織を作ることを自分のミッションとして、開発責任者や執行役員といったポジションも経験しました。そこには尖った技術に触れていたいエンジニアの自分はおらず、事業目的を達成したい一心での選択でした。

気が付けば、言葉の主語が「会社」になり、十分とは言えないまでも、経営メンバーの一員として振る舞えるように自然となっていた気がします。最終的には「社会に価値を提供できたなら、会社のバリュエーションを伸ばすことができる」という視点を持つようになりました。

大昔に「お前は管理ができない・人の気持ちが分からない」と上司から(冗談交じりに)言われた自分が、その10年後に組織マネジメントをしているのだから、笑ってしまいます。でも、そんなものだとも思います。「できる・できない」と「やる・やらない」は別物。マネジメントに向いているなんて1ミリも思ってなかった自分が、会社を前進させるために必要と感じたからやることにした。それだけです。

覚悟をもってキャリアのホワイトスペースに挑み続けたい

一方でエンジニアとして手を動かす時間はほとんどなくなり、このままで良いのかと葛藤に悩まされることも定期的にありました。ただしスタートアップは時間の流れが早く、良いことも悪いことも本当に毎日のように起きます。できるだけ先を見据えつつも、目の前を必死に片付けていくことで精一杯になりがちなので、葛藤に向き合う余裕が十分になかったことは逆によかったのかもしれません。

そして現在は、SO Technologies株式会社のCTOとして、社会によりよいマーケティング支援関連のSaaSプロダクトを提供できるよう、日々精進しています。40歳も迎えて、改めて50代の働き方を意識することになりました。とはいえ、その具体的な景色はほとんど見えていません。振り返ってみれば30歳の頃に現在の働き方が想像できていたかというと、全くできていなかったことと同じです。

今の市況から考えて、エンジニアとして研鑽を積んでいれば、この先もうしばらく食いっぱぐれることはないだろうと考えています。とはいえ、いくつになっても職を選べる状態でありたいとは常々思っており、掛け算できるスキルを増やすことができるよう、引き続き経験の幅を広げ、これまで経験したことのない領域、つまり自分にとってのホワイトスペースを埋めることを重視しています。

これは、ずっと大切にしている考え方です。サイバーエージェントのようなメガベンチャーからスタートアップまで経験して現職を選んだのは、100〜500人規模の会社を経験したことがなく、またデジタルマーケティングという事業領域や、上場企業での重職ポジションも自分にとってホワイトスペースだったこともあります。私が次のキャリアに進もうとするときは、基本的に「埋められそうなホワイトスペース」が見つけづらくなったとき、つまりその環境でできることをある程度やりきったとき。そんな気がします。

もう1つ大切にしていることは、自分の選択に責任を持つことです。何か新しいことを始めるとき、自ら考え、自ら覚悟して選択したことは、結果がどうあれ後になって後悔することはないはずです。仮に失敗してもそれは自分の責任。だからこそ失敗を振り返り、学びに変えることができると考えています。

新しい変化は先が見通せないからこそ面白い

長々と書いてきましたが、私のキャリア選びは下記のようにパターン化されており、また偶発的な選択も多かったと感じています。

  1. 目の前のミッションを一生懸命に頑張り、ある程度まで区切りを付ける
  2. (内発・外発に関わらず)変化の兆しを敏感にキャッチする
  3. その変化が自分にとって新しい前提や(ホワイトスペースを埋められる)経験であれば前向きに検討する

簡単に「やりたいこと」が見つからないと考える方もたくさんいるでしょう。しかし経験上、変化が身近で起こる気配は意外とたくさんあります。それをキャッチできるアンテナを高く持ち、変化を恐れず、そのチャンスを自ら掴み取る姿勢が大事です。そのためには、日頃からいろいろな人と雑談でよいので話をしておくとよいでしょう。私も、さまざまな人たちと交流したことで選択肢が広がりました。

人は、それまで得意だったことばかりを続けても成長しません。新しいことに向き合うことは、先の見通しが立ちづらいからこそ面白いとも言えます。キャリアにおけるホワイトスペースは、企業の事業領域・業界・規模・フェーズといった要素に、自分のロール・ミッション・ポジションなどを掛け合わせれば無数に存在するものです。私もこれからさらにワクワクを感じられるスペースを見つけることが楽しみです。

筆者近影

編集:はてな編集部

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そーだいさんと並河さんに聞くエンジニアキャリア論〜30歳からの非連続的な成長を考える〜 -Findy Engineer Lab After Talk Vol.3-
・開催日時:2023/3/7(火)12:00~13:00
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