Findy Engineer Lab

次世代のエンジニアのキャリアを考える

突然のエンジニアリングマネージャー転身。イチ技術者がGMOペパボ・取締役CTOに就くまでに学んだこと

こんにちは、栗林健太郎です。人々からは「あんちぽくん」と呼ばれています。皆様も是非、そのようにお声がけくださると幸いです。

わたくしは現在、GMOペパボ株式会社(以下、GMOペパボ)で取締役CTOを務めています。会社全体としてこれから実現するべきビジョンや方向性を示し、その実行を中心的に担うエンジニアリングおよびデザイン組織を管掌しています。また、セキュリティ事業や鹿児島拠点の立ち上げなど、新しい取り組みを行うチームを率いてもいます。

本記事では、わたくしがプレイヤーとしてのソフトウェアエンジニアからマネジメント職へ軸足を移すという「選択」をし、マネジメントという領域においてどのようなことをしてきたのかを振り返ることで得られた知見を、皆様に共有したいと思います。

マネジメント職に就くまで

簡単に、これまでのわたくしのキャリアを紹介します。

1999年に東京都立大学法学部政治学科を卒業した後、数年ほどぶらぶらしていた期間を経て、2002年に実家のある奄美大島の市役所に入所しました。定職を得て生活が安定したので、パソコンを購入してWeb日記を始め、そのうち日記作成を効率化するためにプログラミングを始めたところ性に合ったのか、のめり込みました。

ネットを通じてWeb開発者たちのコミュニティと関わり、仕事から帰ったあと深夜までプログラミングに熱中する日々を経て、2008年から職業としてインターネットサービスの開発を行うソフトウェアエンジニアに転じ、2012年にGMOペパボに入社しました。そのあたりの「選択」の経緯は「キャリアキーノート」と題して話したことがあるので、よろしければご参照ください。

技術基盤整備エンジニアとして入社後、デプロイ方式やアーキテクチャの改善等による技術基盤の整備、およびリーンスタートアップやスクラムの導入等による開発プロセスの刷新を行いました。特定のサービスの開発に携わるというよりは、複数のサービスに対して横串で関わり、全社的な改善提案と実行を担いました。

マネジメント職に就いてから

わたくしが会社の制度上において正式にマネジメント職を担うことになったのは、2015年1月です。

前年の2014年2月に、それまで技術責任者を務めていた上長が退職することになり、その後を引き継いだという形でした。詳しくは後述しますが、数カ月ほどは役職があるわけではない状態で、エンジニアリング組織の刷新に取り組みました。その後、2014年8月に技術責任者(当時は、マネージャーというよりはリーダー的な職位でした)に昇格、2015年1月から技術部長を兼任することになり、いわゆるマネジメント職に正式に就任しました。

マネジメント職に就任したといってもわたくしの場合はやや特殊で、既にあるラインにおけるひとつ上の役職に昇進したというようなことではありませんでした。事業部と同格の位置付けとしての「技術部」という組織の必要性を提案し、関係各位に対する説明・調整を経て新設にこぎつけ、自らがその部長として就任することになったのでした。配下にはエンジニアばかりが20名ほどいて、組織の新設と同時にマネージャーも1名選任し、部長兼マネージャーのわたくしと2名でマネジメントする体制になりました。

その後、技術部長を兼任しつつ2015年3月に執行役員CTOに就任、2017年3月には取締役CTOに就任することになりました。2018年3月からは、技術部長の職位を新設したVPoEに譲り、CTO業に専念しています。また、セキュリティ専門の子会社を立ち上げ、セキュリティ事業の新規立ち上げにも取り組んでいるところです。

最初に取り組んだマネジメント施策

先述の通り、わたくしは前任者の職務を引き継ぐところから始めて、結果としてマネジメント職に就くに至ったのですが、その経緯は自然なものではありませんでした。そもそも、前任者が退職した後、わたくしがそのような役を担うことについて誰かが推挙したわけではありません。今となっては不思議なことですが、自分自身がやるしかないと自然と思い、リーダーシップを取って行動していました。その転身において「選択」という主体的な行為はなく、必要にかられて、あるいはもっとかっこよくいうと使命感に駆られてそのような立場になった、というところでしょう。

まず考えたのは、前任者は非常に技術力が高く人望も厚い方だったので、彼がいなくなったことで、エンジニアたちが指針を失いバラバラになってしまうのではないか? ということでした。わたくし自身、いちエンジニアとしての立場ではあるものの、横串で幅広く会社内を見てきた中で、この会社におけるエンジニアリングが、良い方向にどんどん向かっていっているのを感じていました。それが崩れてしまうのではないか? という怖さがありました。

そのため、GMOペパボのエンジニアリングについての新たな指針とビジョンを示すことによって危機を回避し、さらにはこの機会を「活用」してより強いエンジニアリング組織を作ることを決意しました。そのために、大きく分けると以下の3つの施策を、8カ月ほどの間で矢継ぎ早に実行しました。

  1. エンジニア評価制度の制定
  2. 全社規模の技術投資計画の策定
  3. 計画を実行する組織の新設

わたくしが思い描いていた新たな技術戦略を実現するために、エンジニアリング組織を制度・技術・組織の3点において構築していったのです。

次の図は、この時に取り組んだ内容を社内で説明する際に用いた資料からの抜粋です。

これからのペパボの技術(2015年)より(6ページ)

エンジニア評価制度の制定

真っ先に取り組んだのが、エンジニア評価制度の制定でした。わたくしが新たにリーダーシップを取り、組織を取りまとめ始めるに際して、まずは自分の考えをエンジニアを始めとする会社のメンバーの多くに、効果的に伝える必要があると考えました。そのためには、もちろんそうした考えを地道に伝え続けるのもひとつの策ですし、そういうこともしましたが、評価制度を用いることが手っ取り早いと考えたからです。

当時のGMOペパボでは、エンジニアたちは基本的には各サービス開発組織に所属していました。また、毎半期に行われる定期評価においては、それぞれのメンバーは、その属する組織の上長によって評価されていました。そのため、多くの場合においてエンジニアリングの機微への理解が相対的に浅い者によって評価されるということについて、エンジニアたちの不満がくすぶっていました。そこでわたくしは、所属にかかわらず全てのエンジニアの定期評価を、最終的にはわたくしが決定するという制度を作りました。

もちろん、自分の考えを効果的に伝えるためといっても、独善的にことを進めてもしかたがありません。GMOペパボには「わたしたちが大切にしている3つのこと」という、いわゆるバリューが明文化されています。それらのバリューをエンジニア的に解釈した具体例を、全エンジニアが参加したワークショップにおいて洗い出しました。さらに、洗い出した内容をまとめることで、新たな評価制度の指標としました*1

当時70人強いたエンジニアについて、毎半期ごとに面談し、評価結果についてのコメントをGitHub EnterpriseのPull Requestに書き込んでいくということを、わたくしの所属する技術基盤チームのメンバーで手分けして行いました。当時のメンバーにはかなりの負担を強いたと思います。しかし、これをやり抜いたことによって、GMOペパボのみんなが大切にしてきたバリューに基づくエンジニアとしてのバリューが評価制度の根拠として公式に確立し、しっかりとした軸が根付いたと思います。

全社規模の技術投資計画の策定

次に行ったのが、全社的な技術投資計画の策定です。具体的には、各サービスでそれぞれ独自にインフラを調達することをやめ、全社的に統一した基盤を構築し用いるようにするという内容です。2014年当時のGMOペパボのサービスは、そのほぼ全てがアプリケーションを物理マシンに直接デプロイして稼働させていました。それらを、OpenStackを用いたプライベートクラウド基盤に移行する計画を策定したのでした。

わたくしがマネジメント職に就く以前、技術基盤整備エンジニアとして取り組んだことの中には、アプリケーションを動作させるプログラミング言語のバージョンアップや、インフラ構成のコード管理の導入・整備というタスクがありました。手元でコードを改修したり開発環境で動作を確認したりというところまではなんとかなるものの、物理サーバに直接デプロイされた本番環境への適用作業は、なかなか思うようには進められませんでした。

また、サービスが成長するにつれて大量のアクセスが集まるようになってきたのはいいものの、キャパシティプランニングがうまくいかずに障害が発生することが頻発していました。パフォーマンスチューニングによって負荷を軽減するにも限度があります。とはいえ、物理的なハードウェアの調達にはコストもかかりますし、何よりサービスインするまでのリードタイムが長くかかります。なんとかその都度の対応を続けてはいましたが、現場には疲弊の色が濃くなっていました。

そこで、OpenStackを用いたプライベートクラウドを構築し、社内のアプリケーションインフラを統一することにしました(GMOペパボは祖業のロリポップ!以来、サーバーインフラに強みを持っているので、クラウドも自分たちで作ることにしたのです)。同時に、歴史的な事情によりあちこちのデータセンタに分散していたサーバクラスタを移設・集約することにもしました。そのことにより、アプリケーションが仮想マシン上で動くことになり、柔軟なアップデートが可能になりました。また、キャパシティの増減が容易になったことでサービスの稼働も安定し、障害が目に見えて減りました*2

計画を実行する組織の新設

さて、上述したようにエンジニアのあるべき姿を再構築した上で評価制度を通じて同期し、エンジニアの携わるインフラ基盤を統一したことで、今度は組織についても統合の度合いを大きくする必要がでてきました。経営学者のアルフレッド・チャンドラー*3は「組織は戦略に従う」(同名著書より)と述べました。わたくしたちが新たに採った、エンジニアリングにおける強みを統合する戦略に対して、組織デザインとしても追従させる必要が出てきました。

前提として、GMOペパボは当時も現在も、事業部制を採用しています。エンジニアたちは、基本的には各事業部に属するサービス開発を行う組織に属しています。それらの組織は、開発に携わるエンジニアやデザイナーのみならず、企画・進行を行うディレクターやお客様対応を行うカスタマーサポートなどさまざまな職種からなっており、チームとして迅速な意思決定を可能にする体制になっています。一方で、事業部間におけるノウハウの共有や専門性の深化については、事業部内にとどまるというデメリットもあります。

機動的なサービス開発の行える事業部制のよいところと、リソース配分や組織能力構築における全体最適をできるだけ両方実現するべく、インフラ基盤を統合したこともあり、インフラ構築・運用やプラットフォームの開発に携わるエンジニアについてひとつの組織に集めることにしました。そうしてできたのが技術部であり、わたくしがその部長に就任したのでした。そのことで、全社的な技術戦略の策定と実行を、まずはアプリケーションのインフラ基盤レイヤーから進めていける体制を作ったのです。

もちろん、技術戦略はインフラ基盤レイヤーだけで成り立つものではありません。そのため、組織として統合はしないまでも、全エンジニアに対して公式に影響力を及ぼせる体制を構築しました。すなわち、各事業部におけるCTO的な役割としてCTL(チーフテクニカルリード)という職位を置き、技術部長がその評価権の一部を持つことで、技術部長を中心とする全社のエンジニアリング組織の基盤を作りました*4。これで、エンジニアリング組織について、基礎が完成しました。

「選択」後に感じたギャップ

これまでは、選択ならざる選択に迫られ、マネジメント職への転身という回避しようのない「選択」の結果に対してわたくしがどう処してきたかについてを述べました。

ここまで読んでくださった読者の皆様は、わたくしがマネジメント職に就任した後、あらかじめ考えられていた内容をスラスラと実行していったというように思われたかもしれません。もちろんそんなことはなく、先行きが見えない中で考えに考え尽くして手探りで試行錯誤していったことについて、今から振り返ると上述したような道筋が見いだせるだろうということにすぎません。

わたくしがマネジメント職へ転身することになったのは、38歳の頃でした。冒頭に書いた通り、市役所務めを経てソフトウェアエンジニアとして働くようになり、社会人として10数年の経験があったわけですが、それまで一度もマネジメントという職務に携わったことはありませんでした。むしろマネジメントについては、何も知らないどころか、まったく興味がなかったのです。

そのため、当時70人強いたエンジニアをあらためてどうまとめ上げていくのかということについて、上述したような危機の中で先行きを見通せない不確実性に加えて、自分の経験や能力的にもおおいにギャップがあったのでした。

抽象的な理解のギャップ

会社務めをしていると、社内の制度にさまざまな課題があることが気になってきたりします。また、時には画期的な制度を思いつき、なんとかして実現にこぎつけたいという思いを抱くこともあるでしょう。読者の皆様は、会社内において自ら制度を立案し、公式に運用されるところまで実践したことがあるでしょうか? もしないのであれば、少し想像してみてください。例えば、それまで所属部署のマネージャーの持っていた評価権限を、全て自分に集めるという「画期的な」制度を作ることについて。

まず、自分の考えを文書やスライド等のまとまった形に仕立て上げ、周囲の人々にプレゼンテーションするといったことを考えるでしょう。なんなら、社長に対して直接提案をぶつけてもいいかもしれません。しかし、それだけでは制度はできません。評価制度というのは組織の根幹ですので、誰かの思いつきがなんとなく公式の制度になったりはしないのです。手続きは会社のステージや規模によってさまざまでしょうけれども、経営会議やら取締役会やら、そういうところで承認を得る必要があります。

当たり前だと思うかもしれません。しかし、わたくしには当時、そのような知識は皆無でした。それまで取り組んできたエンジニアリングは、もちろんやろうとしていることの概要について関係各所への説明のようなことはしましたが、基本的には自分の腕ひとつでなんとかするという営みです。転身した後に至っても、当初はその考え方が抜けきらずに、よい考えを関係者に吹き込んでおけば、それが組織の動き方に自然となっていくものだと思いこんでいたのです。つまり、会社の制度という抽象的な事物に対しての理解が、決定的に欠けていたわけです。

そのあたりは一緒になって改革に取り組んでくれた人事マネージャーが影でなんとかしてくれていたようです。東京・福岡の両拠点でエンジニア全員を集めて行ったワークショップの結果をとりまとめてスライドにしたものがあるだけの状態でよしとしていたのを、経営会議に諮って承認を得、社内規程へ反映させ、関係各所への調整を済ませてくれたのでした。今となっては冷や汗ものです。

やりたいこととスキルのギャップ

先に、全社規模の技術投資計画の策定を行ったということを書きました。インフラ基盤を新たに構築し、アプリケーションインフラを統合するという内容です。これもまた、当時のわたくしにとってはかなり困難なことでした。そのようなことは、当たり前ですがひとりではできません。さらには、多額のコストがかかる大規模な取り組みになることが明白でした。さて、そのようなことをどうやって実行したらよいのでしょうか。

これまで物理サーバで動いていたアプリケーションをクラウド基盤にのせかえれば生産性が上がる、みたいなことは直感的には誰にでもいえることでしょう。では、そのためにはいくらコストがかかり、何年で投資効果が見込めるのかについて定量的に回答することは、なかなか難しいことです。ましてや、わたくしがその時にやろうとしていたことは、当時のGMOペパボにおいて最大の投資になる規模のコストを要する内容でした。

上述の通り、会社全体を動かすような取り組みをする際には、各種会議体で承認を得るというプロセスがあることを学んだわたくしは、とりあえず取り組みの全体像を描いたものを当時の上司に見せてみました。今となってはわたくしにもよく分かりますが、どこから突っ込んでよいのか分からないほど、どうしようもない資料であったと思います。なにせ当時のわたくしは、自分のやろうとしている投資の、会社の財務諸表へのインパクトをどう考えればいいのか、まったく知らなかったのです。

そこから連夜の特訓が始まりました。全体像についての絵を描いてもっていっては分かりにくいところを大量に指摘され、それが落ち着いたかと思えば、この投資による財務3表へのそれぞれのインパクトを説明するように要求され、ということを繰り返していきました。関わらないところがほとんどないほどに全社を巻き込んだ取り組みであると同時に、グループ会社との利害関係もあるような内容だったので、あちこちに説明に回ったのも初めてのことでした。

また、上述の通り、統合的なインフラ基盤に合わせて組織面でも統合的な部署としての技術部という組織を作ったのでした。組織を作るということは、その組織を動かすためのお金をどうやりくりするかの計画を立て、しかるべき会議体で合意形成を取るということになります。しかし、そもそも組織を運営するにはどういう内容で、どれだけのコストがかかるのかが分かりません。すなわち、P/Lをまるで理解していなかったのです。これもまた、予算を統括する経営企画のマネージャーに特訓をしてもらいました。

ギャップにどう処したのか

上述したようなギャップは、しかし、なにもわたくしだけに特別起こったことではもちろんありません。マネジメント職への転身においてはよくあることだと、今なら分かります。マネージャーへの転身においてどういうギャップがあるのか、そしてどう乗り越えればいいのかという問題については、中原淳氏による『駆け出しマネジャーの成長論 ― 7つの挑戦課題を「科学」する』もあわせて読まれたいと思います。

さて、制度に対する理解やお金まわりの考え方のギャップについて述べましたが、もちろんそれだけではありません。そもそも、マネジメントをしたことがないわけですから、それがどういうことなのかをいちから勉強する必要がありました。そこで、とりあえずひたすら関係のありそうな本を片っ端から読むということをしてみたのでした。後に「実際に読んで選んだマネジャーのための100冊」というエントリにまとめましたが、300冊ほどは読んだようです。未知のカテゴリに出会った時に、集中してひたすら本を読むというのは、わたくしの勉強法の常道でもあります。

しかし、自分の努力により事態に処すことができた、などとはまったく思うことができません。わたくしの行いに対して、陰に陽に支援・指導してくださった方々があってこそ、ギリギリのところでなんとかなったというのが本当のところでしょう。

制度面については、わたくしが技術的なリーダーシップを取り始めた時期の直前に入社し、わたくしの部署の管掌役員となった五十島さんによる指導がなければ、そもそもわたくしがマネジメント職としての実践的なスキルを身に付けられることはなかったでしょう。縁というのは不思議なもので、彼はGMOペパボにとって初めての公認会計士として入社し、わたくしがお金の面においてもややこしい提案をするに際して指導を乞うのに最適な人が、しかも上司としてタイミングよくやってきたのでした。

また、欠かすことのできない最大のパートナーとして、hsbtさんがいます。彼とわたくしとは2012年5月1日という同じ日に、技術基盤整備エンジニアという職務を担う者として入社したのでした。それ以来、技術的なことはもとより組織的な面においても、あらゆる取り組みにおいて、一緒に考え、悩み、実行してきました。彼がいなければ、わたくしひとりの力では、そもそも何事も起こり得なかったでしょう。今では、彼がVPoEとして全社のエンジニアリング組織をみています。立ち上げることはできてもしっかり運営することが苦手なわたくしよりも、よほどマネジメントに向いている人だと思います。

そんなわけで、ギャップに対してどう処するかということについては、一般的な結論を導き出せそうにありません。もちろん、未知の事態に遭遇したからといって、そのことについて書かれた300冊の書籍を1年やそこらで読むのは、それなりの努力ではあるでしょう。しかし、そんなことはやりさえすれば誰にでもできることです。むしろ、こんなにも人の縁に恵まれたというあり得ないような幸運に助けられたという思いが強いのが事実です。

マネジメント職の「選択」に必要となるスキルとは

目先を変えて、自社のメンバーにマネジメント職を選択してもらうにはどうしたらよいのかということについて、少し述べてみたいと思います。読者の皆様の中には、マネジメントを担うミドル層を増やすにはどうしたらよいのかと頭を悩ませている方もいらっしゃると想像するからです。特に、昨今はエンジニアリングマネージャーという職種の輪郭がはっきりしつつあり、実際に制度として導入する会社も増えているようです。

自らも経営者であり、初期の経営学に大きなインパクトを残した経営学者でもあるチェスター・バーナード*5はその主著『経営者の役割』において、組織を「意識的に調整された2人またはそれ以上の人々の活動や諸力のシステム」と定義しています。マネジメント職を選択してもらうには、メンバーがこの定義に表現されている「システム」に対する必要性を理解し、自らがそれを「意図的に調整」するスキルを身に付ける必要があります。

まずは、課題に対する組織的なアプローチの必要性を認識してもらいましょう。そのためにわたくしがおすすめするのは、見込みのあるメンバーに横串的な動きを担ってもらうということです。ここでいう横串とは、部署や職種を超えた課題解決をすることを指します。特定のサービス開発に携わっていたり、特定の職能組織のみに属して仕事をしていたりすると、自分の抱えている問題に対する理解を一般化することが困難です。そこで、横串の動きを担うことにより、そのような課題が実は全社に共通のことであることへの理解が醸成されます。また、そうなると課題解決には、自らの力のみならず、人々を巻き込んだ動きが必要なことも自然と分かります。

先述した通り、わたくしは必要に駆られて身の丈以上のことに取り組んでいる過程で制度や組織の構築に乗り出すことになり、当然なかなかうまく行かずにすったもんだがありました。しかし、後に続く人々にとっては、同じような思いをさせる必要はまったくありません。そこで、組織的な課題解決の必要性を認識したメンバーに対して、まずはシンプルな制度を作ることからまかせてみてはどうでしょうか。制度づくりをクリアしたら、今度は組織づくりです。自らがマネジメントするべき対象の組織を作ることは、これからマネージャーとなるメンバーにとって、貴重な経験をきっともたらしてくれることでしょう。

あるとき突然にエンジニアからマネジメント職に転身した「選択」においてわたくしが学んだこと

研究成果をYouTubeで先んじて公開していく流れに先鞭をつけるため2020年2月に立ち上げた個人YouTubeチャンネルより

おわりに ─ 「やらない」という選択肢はなかった

ここまで書いてきてなんですが、わたくしはこれまでのキャリアにおいて「選択」をしたことがありません。おそらくは、今後も「選択」することはないでしょう。

市役所職員からソフトウェアエンジニアに転じた際は、友人が務めていた会社の拠点移動にともない誘われたことに対して一も二もなくのったのですし、現職のGMOペパボに入社したのも自分の考えと合致する方向性に乗り出したことに面白さを感じて転職したというだけのことです。「選択」とは、複数の候補を比較検討し、なんらかの基準にもとづいてどれかを選ぶという行為ですが、わたくしはその都度に面白いと感じること、ただそれのみに取り組んできただけであり、一切の選択をしていないのです。

この文章で述べてきたマネジメント職についても、わたくしが自らそれを望んで転身したというのではありませんでした。ただわたくしにとってリアルに感じられたのは、わたくしがやらなければこの会社はマズいことになってしまう、それをなんとかしなければならないという必要性のみでした。その必要性を前にして、少なくともわたくしは「選択」という行為をとることはできませんでした。すなわち、わたくしがリーダーシップをとる以外の行動があり得なかったのです。

そもそもわたくしにとって人生とは、最初からそのようなものではなかったか、そう思うわけです。わたくしは、自堕落に生きることよりも何か高みを目指して努力を継続するという選択をしたことはありません。かといって、もちろん逆に自堕落な生を選択したわけでもありません。わたくしたちにとって、未来は常にあらゆる可能性に開かれています。しかしその可能性とは、選択肢のことではありません。いかようにでもあり得るということが、ある時において偶然にも特定の状態に収束すること、そういう意味における可能性です。

その絶対的な偶然性に対して常に心身を開き、ときには翻弄され、偶然的な責任を引き受けていくこと。そういうことが人生において大事なのではないかということを、わたくしは学んだのでした。