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「スキルの掛け算」が未来を切り開く。文学部出身のひよこ大佐がレッドハットに転職できたわけ

「スキルの掛け算」が未来を切り開く。文学部出身のひよこ大佐がレッドハットに転職できたわけ

こんにちは、ひよこ大佐@hiyoko_taisaです。およそ2年前、Twitterのあるツイートがきっかけで、レッドハット株式会社に転職しました。現在はテクニカルサポートエンジニアとして、ITインフラの自動化ツール「Ansible Automation」のサポートをしています。

以前からオープンソースの可能性を感じていましたが、大学が文学部だったこともあり、エンジニアになることを一度は諦めていました。しかし、インフラエンジニアからTwitter転職を経て、現在はグローバルなオープンソース企業で働いています。その経緯や、そこで得られた体験・知見を紹介します。

Twitterを使って転職すること、そのメリット

Twitter転職とは、その名の通り「転職活動をTwitter上で行うこと」です。多くの場合、転職したいエンジニアが自分のスキルや、求める待遇・給与などを140字にまとめてツイートし、興味を持ったリクルーターや同業のエンジニアが声を掛けて面接に臨む流れになります。

私の転職のきっかけは、半分愚痴のような、些細なツイートからでした。

このツイートに対して、数十社の企業で働くエンジニアから「ぜひうちの面接を受けませんか?」というリプライをいただき、いくつかの会社を見学させてもらいました。そのうち「働きたい!」と思った企業に絞って面接を受け、中でもレッドハットからのオファーが最も魅力的だったので、迷わず転職を決意しました。

時々誤解されるのですが、Twitter転職だからといって採用がTwitter上のみで決まるわけではありません。最初の面接までの流れは異なるものの、従来の転職サイトやエージェントを利用した採用プロセスと大きな違いはありません。

Twitter転職の大きな利点は、面接に臨む前に、社内の働き方や空気感・カルチャーなど、人事担当者には聞きづらい情報を、実際に内部で働くエンジニアから知ることができることです。

一般的に転職では、入社してみたら「思っていた仕事と違った」り、職場の「カルチャーが自分とマッチしなかった」というケースもあるでしょう。Twitter転職では相互にフォローし合っているエンジニアから声がかかることもあり、ある程度の内部事情や職場の空気感をざっくばらんに会話することができるので、カルチャーのミスマッチを防げます。

実際にツイートのやりとりがTogetterにまとめられていますので、こちらを参照してください。

togetter.com

プログラミングに興味ありつつ文学部に進み就活で苦戦

私とコンピューターとの関係は、中高生時代にさかのぼります。親にねだって、初めて自分専用に富士通製のノートPCを購入してもらいました。当時はWindows XPが出はじめた頃で、最初はゲームやネットサーフィンをするだけでした。

ゲームが好きだった私は、プログラミングにも興味を持ち、C言語やC++を勉強しはじめたり、試しに簡単なシューティングゲームを作ったりしていました。といっても興味の方向が具体的に定まっていたわけではなく、HTMLとCSSでWebページを作ったり、PerlでCGIを勉強したり、いろいろな技術に興味の赴くまま触れていました。

そういう経験をしていながら、理系の大学に進学してプログラマになることを、私は当時すでに諦めていました。

コンピューターサイエンスを学ぶに当たって、逃げることのできない関門のひとつが数学です。恥ずかしながら、中学生の頃から数学では赤点を取ったりぎりぎり回避したりという「筋金入りの数学嫌い」であった私は、「ITエンジニアになるには、数学が得意でなければならない」という固定観念にとらわれていたのです。

私は実は文学も大好きで、時間があれば本を読みあさり、図書館に通い詰める子供でした。日本語で小説や詩など「自分の内面を表現する」活動に憧れていたこともあり、大学では文学部に進んで「クリエイティブライティング」と呼ばれる分野を専攻し、明治~現代の日本文学・西洋文学を含めた研究や、雑誌の編集、小説の執筆をしていました。

就活情報に踊らされる中で「理系でなくてもIT業界で働ける」ことに衝撃

大学3年生も終わる頃、就職活動がスタートします。当時は東日本大震災の直後ということもあり、新卒採用そのものが自粛ムードでした。就活の解禁も遅くなり、「就職氷河期よりひどい」と評する専門家もいるほど、就活市場は激戦でした。

エントリーシートは大量に出すのが当たり前で、自分も手当り次第に100枚近くエントリーシートを送り、そのうちの50社以上を受けましたが、結果は惨憺たるものでした。全て一次面接や二次面接で落ち、最終面接まで残ることができたのは、当時アルバイトをしていたスーパーの社員の選考だけで、それすらも落とされました。

何がしたいのか自分でも分からなくなっていた私は、就活サイトの情報に踊らされて「安定」「文系でも大丈夫」という思い込みだけで、さして興味もない製造業を中心に志望していました。しかも、対人コミュニケーションが苦手なのに営業職を希望していたのです。今考えれば受かるはずもありません。

それでも当時は「自分の全てが否定された」と悩み、毎日必死に面接を受けてはお祈りメールだけが溜まっていく現状に絶望していました。

大学4年生の夏になっても内定が1社ももらえずに落ち込んでいたとき、母親から勧められて参加したハローワークの新卒面接会で、参加企業に1社、 ITエンジニアの派遣を行っている企業がありました。興味本位で話を聞いてみると、「文系でも大丈夫」「英語も生かせる」と言われ、「IT業界は理系じゃないと働けない」と思っていた自分は衝撃を受けたのです。

そこで、IT業界に志望変更して面接を受けてみると、それまで受けてきた企業とは比較にならないほど、好意的な反応が多いことに気が付きました。自分では特にアピールポイントだと思っていなかったある経験によるものでした。

Linuxやオープンソースコミュニティとの出会いが武器になった

高校生になった当時、ゲームやWebの開発に興味のあった私は、初めてLinuxという存在を知ることになります。デスクトップLinuxが注目されていた時期で、Vine LinuxやFedora CoreのライブCD/DVDが雑誌の付録になるなど、徐々にLinuxの認知度が高まりつつありました。

もともと「自分がまだ知らないもの」にとても惹かれていたので、Windowsしか触れたことのない自分には、流儀も文化も全く異なるLinuxの世界はとても楽しそうに思えました。ある日、興味本位で購入した雑誌に付いてきたFedora Coreのインストールディスクを、Windows XPとデュアルブートでセットアップしてみることにしました。

ですが、ここで私は大きなミスを犯してしまいます。本来はパーティションを分割して、空いているパーティションにFedora Coreをインストールしなければならないと頃を、間違えて全てのパーティションを初期化してしまい、Windows XPを完全に消してしまったのです。リカバリディスクもなく、復元することができませんでした。

突如、全く知らない世界に放り出され、Linuxのコマンドも分からず、似てるようで違うGNOMEの操作感に戸惑いましたが、同時に楽しくもありました。それは「ITには知らない世界がまだまだたくさんある」ことに気付かせてくれたちょっとした事件であり、今から考えればITエンジニアになる最初で最大の転機でもありました。

開発はできなくても翻訳ならば貢献できる

それから私は、徐々にLinuxの世界に足を踏み入れることになります。

自分が使っているFedoraというディストリビューションについても「どういう人たちが作っているのだろう?」と気になって、それで初めてレッドハットという企業と、オープンソースソフトウェア(OSS)のことを知ったのです。「自由に配られているソフトウェアがビジネスになるのか」と驚いた記憶があります。

Linuxの生みの親であるリーナス・トーバルズの自伝『それが僕には楽しかったから』を図書館で読み、その内容に感銘を受けるとともに、オープンソースのコミュニティには大きな可能性があることにも気付きました。お互いに知らない人たちが、それぞれの目的のためにひとつのプロジェクトのもとで協力し合う姿は、非常に新鮮で、素晴らしいものに思えました。

そして、その活動をビジネスに生かしつつ支援するレッドハットという企業にも興味を持つようになりました。当然、後にレッドハットに入社するなどとは、その頃は夢にも思っていません。

しかし、ただ外から見ていても、コミュニティ活動そのものはよく分かりません。OSSにおいて最も重要なのは、それぞれの貢献(コントリビュート)です。その分野は多岐にわたり、バグ修正などのコーディングはもちろん、壁紙やロゴデザインなどのアートワーク、ドキュメント整備など、実にさまざまです。

コーディングに関しては、第一線で活躍しているプログラマのようなスキルを持ち合わせていない自分では到底、役に立ちません。しかし、プログラミングでの貢献は無理でも、ドキュメントなら「自分でも参加できるのではないか?」と考えました。英語が苦手ではなかったこともあり、軽い気持ちでメーリングリストに登録し、翻訳プロジェクトに飛び込みました。

翻訳プロジェクトに参加したとはいっても、毎日アクティブに活動していたわけでも、大きな貢献をしたわけでもありません。ですが、メーリングリストで行われるディスカッションなどは、私にとって初めて実際に体験するコミュニティ活動で、感動したことを覚えています。

さらに、自分が翻訳した箇所が実際に反映されているのを見ると、言いようのない達成感がありました。

さまざまな「技術遊び」が、IT企業への就活やTwitter転職を支えてきた

文学部に進学してからも、コンピュータへの興味を失ったわけではなく、Linuxは依然として使い続けていました。その頃は、ユーザー自身でビルドするLFS(Linux From Scratch)を試したり、ゲーム用のサーバーをCentOSやFedoraで構築したりしていました。

そういった「技術遊び」が、今の自分を支えている実感があります。就活でIT企業が好意的だったのも

  • コンピューターの仕組みや、ネットワークをある程度理解している
  • Linuxを触ったことがある
  • サーバーを構築・運用したことがある
  • OSSプロジェクトで翻訳をしたことがある

私のこういった経験が、IT企業にとって非常にユニークで魅力的に映ったのだと理解しました。その結果、みるみる面接を通過し、内定をもらえるようになりました。

そして、なぜ当初の就活がうまくいかなかったのか、やっと分かるようになりました。私がやっていたのは、好きでもない分野のよく知らない企業に対して、自分の興味や経験を隠し、就活ノウハウ本の通りに「私は他と変わらない画一的なありふれた大学生です」と売り込むことだったのです。そんな人間を誰が欲しがるのでしょうか。これでは面接を通過できるはずもありません。

こうして新卒でITの世界に飛び込み、一度は転職も経験しながら、SIerなどでインフラエンジニアとして仕事をしてきました。そんな中、冒頭でお話ししたレッドハットへの「Twitter転職」という、今までのキャリアで最大の転機を迎えました。

レッドハットは、Red Hat Enterprise LinuxやOpenStack、Ansibleなどのオープンソースソフトウェアのサポートを、エンタープライズ向けに提供しています。オープンソースとの関わりも深く、さまざまなOSSコミュニティを支援しています。一般の中高生には無縁な企業ですが、実は私が学生時代から興味を持ち、関わりのある企業でもあったのです

†Fedoraは、Red Hat Linuxの後継プロジェクトであり、企業向けRed Hat Enterprise Linuxに注力するレッドハット社に代わり、2003年にコミュニティペースで開発が始められたという経緯があります。

レッドハットのカルチャーとテクニカルサポートという仕事

レッドハットのカルチャーは、それまでに経験した大手SIerなど、いわゆるトラディショナルな日本企業の文化とは大きく異なっていました。

レッドハットでは、意思決定や評価、コミュニケーションなど全てにおいて「オープン」であることを重要視しています。従来のトップダウン型の、言われたことを黙々とやることが美徳とされる“日本的企業”で働いてきた自分には衝撃的でした。

その独特な文化は、レッドハットの社長兼CEOであるジム・ホワイトハーストが『オープン・オーガニゼーション』という本で詳しく書いています。

また、会話もほとんどが英語です。上司はアメリカ人で、同じジョブロールを担う同僚は世界各地におり、SlackやIRC、Web会議でのコミュニケーションが中心となります。そういった環境面でも、それまで働いてきた会社とは全く異なりました。

しかし、環境への適応は、私にとってそれほど難しいことではありませんでした。

それは英語が苦手ではなかったり、レッドハットのOSSに慣れ親しんでいたという要素もありますが、テクニカルサポートとして自分のやるべきことが明確にあり、そのために自分の技術的な経験や、知的好奇心をフルに生かすことのできる環境があったためだと思います。

テクニカルサポートは、お客様が直面している問題や課題を解決するためにあります。当然、Ansibleの専門知識や、Linux、ネットワーク、その他関連する技術に対する深い知識が必要です。挙動の原因を探すためにコードを追跡して、問題を調査することもあります。

自分の知識や経験、スキルを駆使して、少しでも速く、かつ確実に問題を解消しなければなりません。自分の持てる全てを駆使して技術的問題と正面から向き合えるテクニカルサポートエンジニアという仕事が、自分にとっての「適職」だったのだと、今では感じています。

そういった面では、自分の内面で持っていたカルチャーと、会社としてのカルチャーがうまくマッチした結果、大きな違和感なく、“日本的企業”からレッドハットへ転職できたのだと思います。

さらに、学生時代に経験し、感動したオープンソースとの関わりを日々の仕事とできることが、自分にとって大きなモチベーションになっています。

知的好奇心を高めて、掛け算できるスキルを見つけよう

IT業界は常に変化し続けており、今日までの最新技術は、明日にはもう最新でないかもしれません。今までうまくいっていたやり方や働き方も、明日うまくいくとは限りません。

ベンチャーや中小企業だけでなく、大企業でも例外ではありません。「上司から言われたことをしていれば、そのまま昇進できて、定年まで安泰」という時代ではなくなった以上、自分で自分のキャリアを考え、必要な決断をしていかなければなりません。

そういう変革の時代にITエンジニアとして生き残っていくには、土台としての「基礎となる知識」と、「変化に対応できる能力」の両方が必要です。最新のトレンドをただ追いかけていれば優れたエンジニアになれるわけではありませんし、いくら土台がしっかりしていても新しい環境に適応できなければ淘汰されてしまいます。

新しい技術的な知識を学ぶことは「楽しい」

ITエンジニアに最も必要だと私が思うのは「知的好奇心」です。技術的な興味を追い続けるには、知的好奇心が必要です。

レッドハットでは、知的好奇心を刺激する優れたエンジニアやマネージャー、コミュニティのコントリビューター、お客様と日々関わる機会があります。思い返せば、私がIT業界に入る時も、入った後も「知的好奇心」がその行動原理の核でした。

今でも、新しい技術を学ぶのは、わくわくします。テクニカルサポートという職務上、学ばなければならない知識は無数にありますが、自分の知らない知識を吸収するプロセスは職務上の義務ではなく、「楽しいから」しているものです。そして知的好奇心から得たさまざまな知識や経験が、実際に今の仕事に生きています。

今の仕事、今持っている技術だけにしがみついていても、いつかは限界が来ます。今は必要とされていない知識でも、明日から必要になる可能性もあります。知的好奇心に従って新しいことを学ぶのは、決して無駄ではありません。

スキルを整理してアピールポイントを見つけよう

また、戦略的に「自分の希少価値」を分析して、転職活動に生かしたり、今後のキャリアを考えたり、学習プランを立てたりすることも重要です。

読者の皆さんも「自分のキャリアの方向性が分からない」「自分にそもそも何ができるのか分からない」と考えることもあるでしょう。そういうときには、すぐに転職する気がなくても、一度「職務経歴書」を書いておくことをオススメします。職務経歴書を書くことで、自分がキャリアの中でやってきたこと、触ってきた技術、コアになるものが何か、棚卸しして整理できます。自分が得意な分野と、足りない分野を知ることができます。

さらに、掛け算できるスキルを見つけられる可能性もあります。掛け算できるスキルとは「組み合わせたときに、希少性がより高まるスキル」のことです。希少性とは、すなわちアピールポイントです。

例えば、私にとっては「日本語の能力」「英語の能力」「インフラエンジニアとしての経験」「OSSコミュニティでの経験」などが、掛け算できるスキルです。インフラエンジニアの経験を持つエンジニアはたくさんいますが、「英語が話せて、OSS活動経験のある、インフラエンジニア」となると希少性が出てきます。

これは、いざ転職しようと思ったときにも、そのままアピールポイントとして使えます。スキルを掛け算できるエンジニアは変化に対応できます。

自分のキャリアに責任を持つのは自分自身ですから、ITエンジニアとしてこれからの時代を生き抜くには、知的好奇心を失わず、新しい環境にチャレンジするため転職する決断も必要かもしれません。もし「自分は成長できていない」「やりたい仕事ができていない」と感じるのであれば、環境を変えてみるのも手段のひとつです。

編集:はてな編集部