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もう一つの海を目指して ─ Webエンジニアからクリエイティブ系にジョブチェンジして見えてきた世界

もう一つの海を目指して

はじめまして、天城孝義@amagitakayosiです。
Webエンジニアとしてブログサービスなどを運営している会社で3年働いた後、クリエイティブ系のスタジオに転職し、現在は主にフリーランスとしてUnityを使ってゲームやインスタレーションを制作しています。

クリエイティブ系の仕事には学生時代の頃から興味がありながら、Webエンジニアの働き方に影響されてフロントエンド開発の道を選択した僕ですが、やがてキャリアについて考え直すなかで、クリエイティブ系への転職という選択肢に直面しました。

目の前に選択肢が現れたとき、迷わずリスクを取れる人は少ないでしょう。僕の場合、周りの人々に励まされつつ面白い方を選び続けたところ、気が付いたら今の状況になっていました。

この記事では、Webエンジニアからクリエイティブ系へ転職することになった契機や、キャリアチェンジに際しての葛藤など、僕の考えてきたことを書いてみたいと思います。

Webやデジタルアートで作れる面白いものを共有したい

僕がWebエンジニアを志望したのは、「インターネットが好きだから」という漠然とした理由からでした。Flash動画や2ch、ニコニコ動画を見て育ち、Webの仕事に憧れていた僕は、大学で情報系の学部を選びましたが、研究室に配属される頃にはすっかり落ちこぼれていました。

配属先の研究室で先輩のOさんに出会わなければ、プログラミングとは無縁な人生になっていたでしょう。Oさんは、在学中からGitHubで数千starsのプロジェクトを持っているようなバリバリのプログラマーでした。しかも不思議とウマが合い、音楽の趣味が似ていたり、僕の活動に興味を持ってくれたり、プログラミングからネットカルチャーまでいろいろなことを教えてもらいました。

ライゾマティクスやチームラボの活躍、openFrameworksやProcessingといったデジタルアート制作ツール、海外のメガデモ文化について語ってくれたことを覚えています。僕がその後デジタルアートに触れるようになったのも、思えばOさんのおかげかもしれません。

研究室も「Webと関係がありそう」ということでデータベース系を選んでいましたが、Webブラウザで音が出るアプリを研究そっちのけで作ったり、jQueryでゲームを作ったりしてばかりでした。どうやら自分はユーザーの目に直接触れるもの、面白いと思うものを作って人と共有したいのだという意識が、この頃ぼんやりと生まれていました。

インターン体験からWebエンジニアの道を決意

修士1年のある日、いつものようにネットを見ていると、その夏のさまざまなWeb系のインターンシップを紹介してる記事が目に入ってきました。自分の実力に自信はないけれど、これがエンジニアの世界に飛び込むチャンスになるかもしれない。

興味のあった企業についてOさんに相談してみると、なんとOさんは前年の参加者で「天城くんなら楽しめると思うよ」と言ってくれました。Oさんが「楽しい」と言うならきっと楽しいはずだ。ダメ元で応募したところなぜか選考を通過し、1ヶ月の間、はてなの京都オフィスでWebプログラミングを勉強することになりました。

本職のWebエンジニアを見る機会がなかった僕にとって、このインターンはとてつもなく刺激的でした。優秀な開発者が集まってサービスについて議論し、あっという間に新機能が実装されていく様子を見て、「プロの世界はこんなにも遠いのか……!」と感動したのを覚えています。

それまでは「インターネットが好き」という理由でなんとなくWeb業界に興味を持っていただけでしたが、インターンで実際の働き方に触れたことで「絶対にWebエンジニアになろう!」と決意したのでした。そして大学院を修了し、新卒で株式会社はてなに入社することになりました。

フロントエンドエンジニアというブランディングと限界

入社後にはブログサービスのチームに配属され、バグ修正から新機能までさまざまなタスクを担当しました。当時は、Webのアプリケーションエンジニアならフロントエンド・バックエンドの区別なく、APIの設計からUIの実装まで、サービス全体の開発・運用タスクをアサインされる体制でした。

その中でも、ブログの記事編集画面など、UIの比重が大きい部分を実装するのが好きだということが分かってきました。やはり自分は、ユーザーが触れるものが作りたかったのです。Webフロントエンド特有の技術的な課題も見えてきて、その世界にどんどん惹かれていきました。

こうして、ある時期から「フロントエンドエンジニア」を名乗るようになりました。それだけの実力を付けたいという意気込みとともに、エンジニアとしてのブランディングも意識していました。

フロントエンドエンジニアとして技術のキャッチアップや共有を実践

優れたエンジニアに求められる資質はさまざまです。

  • 良いプロダクトを作ること
  • 良いライブラリを作ること
  • 新しい技術をキャッチアップすること
  • 技術的知見をチームメイトや社内に共有すること

ざっくりこういう要素に分類したときに、上2つのような「良い」サービスやアプリを作る能力は評価が難しく、狙って身に付けられるわけではありません。

しかし、新技術のキャッチアップや社内への知見共有は、時間をかければ実現できるはず。そう考えて、社内でのフロントエンド技術の学習や知見共有・相談のため「フロントエンド会」を立ち上げ、社内勉強会やフロントエンドランチの開催、SlackやGitHub上での技術相談などの活動を行いました。

フロントエンドランチというのは、週に一度ランチを食べながら技術ニュースをチェックしたり、開発についての相談をする集まりで、社外アピールや情報交換を目的にPodcastでも配信していました。

さらに、地域イベントとして「Kyoto.js」という勉強会を主催してきました。運営をhitode909さんから引き継いで、京都ならではのユルさを残しつつ、差別化も意識して 「JavaScriptに関係があれば何を話してもOK」と間口を広げながらマニアックなネタも推奨することで、初心者もガチ勢も楽しめるようなイベントを目指しています。

ありがたいことに、東京や神戸、名古屋など遠方から来てくれる方も増えました。

エンジニアのキャリアについての葛藤

社内外の勉強会活動は全て、自分のエンジニアとしての生存戦略も兼ねていました。

  • 良いプロダクトを生み出す方法が分からない
  • 不可能を可能にする魔法のような技術もまだ身につけていない

こういった課題は、僕が京都に住んでいることも大きく影響しています。東京とは違って、フラっと集まって仕事の相談をしたり情報交換したりする機会がほとんどなく、フロントエンドエンジニアも圧倒的に少なく、一緒に開発できる仲間を見つけるのも難しい。

せめて自分から情報発信することでエンジニアコミュニティとつながるために、ブログや勉強会、Podcastを使っていた節があります。ですがある時期から、だんだんとこうした活動に行き詰まりを感じるようになってきました。

原因の一つは、ロールモデルの不在です。僕の周りには、尊敬できるエンジニアはたくさんいますが、自分のキャリアにおいて目標としたいロールモデルが思い浮かびませんでした。

要素要素で見れば、例えばサイボウズの佐藤鉄平@teppeisさんのように社内のフロントエンド組織を運営するとか、mizchiさんのようにフロントエンドの設計について理解を深めて適切な技術選択ができるようになるとか、参考にしたいエンジニアはたくさんいます。

しかし、彼らと同じようなキャリアを自分が歩めるのか? というと、性格的にも能力的にもそんなイメージは描けませんでした。変化の速いエンジニア業界にあっては、誰もが抱えている問題なのかもしれませんが………。

これが本当に自分のやりたいことなのか?

もう一つの原因は、Web業界で評価されるフロントエンドのスキルと、自分がやりたい開発とのミスマッチです。

ほとんどのWebサイトやWebサービスでは、UIは透過的であることが求められます。どれだけ快適なUIを作っても、それはサービスのUXを邪魔しない、あるいはユーザーの行動を促すための手段として評価されます。そこでは、「体験そのものが価値である」たぐいのフロントエンドについては語られません。

人に体験を与えたくてフロントエンドが好きになったけれど、人に価値を提供するフロントエンドを開発できていない。現状で自分がやるべきことを分析し、行動しているはずなのに、いつも「これが本当に自分のやりたいことなのか?」という問いが、頭のどこかで引っかかっていました。

ライブコーディングの衝撃でクリエイティブの興味が再燃

関西のエンジニア向けイベントに何度か参加していると、受託制作をメインとするいわゆる「Web屋」を自称されるような人が多いことが分かってきました。自社サービスを開発しているようなWebエンジニアのコミュニティではあまり話題に上らない傾向にありますが、その中に昔はFlashでバリバリやっていたようなエンジニアもたくさんいます。

僕自身、フレームワークやアプリ設計など、SNSで注目されがちな技術ばかりに注目しているという反省があり、Webページ制作に近いフロントエンド技術を知る一環として、WebGLの学習を始めました。

そんな中、2017年4月にたまたま出張で東京に行くことがあり、六本木のクラブで開催される少しギーク寄りのイベントに参加しました。そこで僕を待っていたのは、これまでに見たことのない、テクノロジーとアートの融合体でした。

スクリーン全体に映し出されたVimに打ち込まれたコードが、別のスクリーンで即座に3D映像に変換されていく。音楽に合わせて進行するライフゲームのセルがボクセルに変わり、かと思えば光の粒になって画面上を飛び交う。三角関数で作られた白黒模様が明滅してフロアを照らしている!

メガデモ文化の存在は知っていたけれど、それはあくまで究極的な、どこか遠い国の神話のようで、そこに至る道程は全く想像もできなかった。でも、今、目の前に、コーディングによって作られたグラフィックスが映し出されている。

テクノロジーでアートを生み出す人は確かに存在するのだと、そのとき初めて理解できた気がします。

クリエイティブコーディングの世界に傾倒

それからというもの、コーディングで映像などのアートを制作する、いわゆるクリエイティブコーディングの世界に傾倒していきました。

最初はフロントエンドについて学習する一環だったはずが、いつの間にかWebGLやGLSL(OpenGL Shading Language)のことばかり考えるようになっていました。業務外の時間のほとんどをGLSLの学習にあて、7月には自分でライブコーディング用アプリを作り、パフォーマンスをするようになります。ちょうど社内でDJ活動をしている人たちがパーティを行うというので、VJとして参加させてもらったりしました。

2017年12月には、Algorave Tokyoというイベントにも参加しました。Algoraveはライブコーディングや自作シンセなど、「アルゴリズムによるレイヴ」を標榜するイベントです。もともと客として参加する予定だったのですが、Twitterで「参加したい!」と声を上げたところ、主催の方からDMで出演のチャンスをいただいたのでした。

Algorave Tokyoは、僕のライブコーディングによる映像を多くの見知らぬ人に体験してもらう、初めての本格的な機会となりました。また、大学時代から追いかけていたグリッチアーティストのucnvさんや、僕が参考にしたVJソフトの作者であるHexler@touchviz_hexlerさんといった「向こう側」だと思っていた世界の方々と、同じ出演者として話をすることができました。

自分が良いと思うものを作り、体験を共有する手段が、Webフロントエンド以外にもあるんだ。僕はだんだんと、Webの外の世界にもっと目を向けるべきなのかもしれないと思いはじめました。

Web以外のコミュニティとの交流から転職へ

そうした活動をしてるうち、これまで関わりのなかった、Webエンジニア以外のコミュニティとの交流が自然と生まれてきました。doxas@h_doxasさんやFMS_Catさんといった日本のデモシーン界隈の方々や、永松歩@ayumu_nagaayumu-nagamatsu.comさんやさのかずや@sanokazuya0306さんといったメディアアートの方々です。

2017年には、doxasさんの運営するWebGLセミナーに、講師として招いていただきました。セミナーでは、Web業界だけでなくゲーム業界や方やメディアアート系の芸大生などと話すことができ、思ったよりずっと多くの人が、WebGLやクリエイティブコーディングに興味を持っていることが分かりました。

当時、IAMAS(情報科学芸術大学院大学)に在学していた永松さんが舞台芸術系のイベントで制作発表を行うとのことで、ロームシアター京都に鑑賞に行きました。そこでたまたま知り合ったのが、当時の1→10drive(ワントゥーテンドライブ)*1でCTOを務めていた森岡東洋志さんでした。

森岡さんとは30分ほど話しただけでしたが、いわゆるクリエイティブ系の会社が京都にもあり、プログラミングで映像やインスタレーションを制作している人たちがいる、ということを初めて知りました。僕を惹きつける世界で生きていくための入り口が、すぐそこにある。自分の行動力が試されているような気がしました。

クリエイティブ系を選択して見えてきた風景

エンジニアとしての生き方に行き詰まりを感じていたこともあり、転職を真面目に考え始めましたが、気付けばもうすぐ30歳。少し前まで「35歳定年説」だとか言われていたエンジニアの世界で、より「若さ」を求められるであろう業界にピボットするには、勇気が必要でした。

その上、僕は当時結婚した直後であり、安定と冒険を天秤にかけることに不安もありました。「他業種に行かなくても、Web系で現状を打開できる方法が見つかるのではないか?」と、いったん落ち着いて面白そうな仕事を探してみたところ、いくつかのWeb系企業から好条件を提示されたりもしました。

どの企業も事業内容は面白そうで、ホワイトな印象もあり、かなり魅力的な選択に見えたのですが、やはりこれまでの仕事の延長線上にあるという感覚は拭えません。

  • クリエイティブ系への転職
    • 業界的に、Webエンジニアが期待するような転職による収入アップや安定した生活は見込めない
    • 生活のサイクルは案件中心になり、イベント会場で深夜までバグと格闘することも必要になる
    • でも確実に、これまで見えなかった景色が見えるようになるはずだ
  • Web系企業への転職
    • 実際に入ってみて分かる業務内容の楽しさも、Webの仕事で現場のスペシャリストとして高みを目指すことの面白さもあるだろう
    • でも、僕の憧れていた「向こう側」の世界への思いは、安定した日常の中でいつしか思い出となってかき消えてしまうのではないか

僕の中ではほとんど答えが決まっていたけれど、はたして安定を捨てて良いのだろうか? 躊躇(ちゅうちょ)していた僕の背中を押してくれたのは、「面白い方を選んで」という妻の言葉でした。

当時は悩みすぎて、妻に毎日相談したり愚痴を聞いてもらっていました。そんな僕に妻は「後悔してる姿を見るより、たとえ大変でも、仕事が楽しいという話を聞いていたい」と言ってくれました。

そして僕は、クリエイティブ系への転職を決めました。

新しく飛び込んだ海はたくさんの世界につながっていた

転職して見えてきたのは、これまでの仕事とは全く違う景色でした。

最初に面白いと感じたのは、1→10(株式会社ワントゥーテン)に集まっている人材の豊富さです。もともとWebの受託制作からスタートし、活動領域をインスタレーションやライブ演出まで広げていった会社のため、求められる人材の幅や、メンバーが活躍できるフィールドがとても広くなっています。

コンテンツの制作メンバーとして、いわゆるエンジニアやデザイナーだけではなく、映像作家やトラックメイカー、元おもちゃメーカーの人などが同時に一つのプロジェクトに携わることもあります。ある案件でマネジメントしていた人が、別の案件では映像を作っていることもありました。

メンバーがさまざまな形で課外活動を行っているのも印象的でした。Web企業でも、意欲的なエンジニアやデザイナーが趣味や副業でWebサービスを作ったりすることはあります。それが同じエンジニアという職能でも、アート作品やインスタレーションを作ったり、広告のコンペに向けて制作していたりします。

いろいろな方向を目指している人々が、たまたま同じ船に乗り合わせ、力を合わせて一つのものを作り出している、そんな印象を受けました。僕は、Webの世界を抜けて「クリエイティブ系」というもう一つの海に飛び込んだつもりでいたけれど、しばらくして気がついたのは、この海はさらに多くの世界へと続いているということでした。

決断できないときに背中を押してくれる人たち

僕はエンジニアとして経験豊富なわけでもなく、確固とした指針を持っているわけでもありません。人生の分かれ道では、面白い方、変化の大きい方を選び続けて、次へまた次の世界へと進んで来ました。

やりたいことをするのには覚悟が必要で、一人で決断するのは難しい。そんなとき僕は、妻や先輩など、尊敬できる人に相談して、背中を押してもらいました。自分一人で答えが出ないなら周りの人に話してみると、視界がクリアになって、案外サクッと最初の一歩を踏み出せるかもしれません。

ここまで長々と新しい業界に飛び込んだ経緯を書いてきましたが、実は4月で退職し、今後はしばらくフリーランスとして活動する予定です。また次の世界に飛び込むため、しばらくはいろいろな仕事をつまみ食いしながら勉強するつもりです。

なりゆきで歩んできた僕のエンジニア人生ですが、皆様の参考になれば幸いです。

編集:はてな編集部

*1:現在は株式会社ワントゥーテンに吸収合併