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「デブサミ」で日本中のデベロッパーをスターにしたい。20年目を前にして、オーガナイザーが目指すもの

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こんにちは、近藤佑子(@kondoyuko)です。IT技術書でおなじみの出版社、翔泳社で編集者をしています。と言っても、私が携わっているのは本や雑誌ではありません。ITエンジニア向けWebメディア「CodeZine」や、イベント「Developers Summit」の企画・編集をしています。

通称「デブサミ」で知られているDevelopers Summitは、翔泳社が毎年2月に開催しているITエンジニア向けカンファレンスです。次回の2022年で記念すべき20回目を迎えます。また、地方開催や夏開催、若手ITエンジニア向けのスピンオフイベント「Developers Boost」など、開催の幅を広げています。

今回は、デブサミのオーガナイザー(コンテンツの取りまとめ役)の立場で、時代に応じてデブサミはいかに変化してきたのか、そして何を大切にしてデブサミを作ってきたのかを紹介したいと思います。本記事が、ITエンジニアコミュニティがもっと生き生きとする一助になれば幸いです。

デベロッパーの祭典「Developers Summit」のはじまり

デブサミは2003年2月に初めて開催されました。

Developers Summit 2003サイト(https://codezine.jp/devsumi/2003

第1回のデブサミから、5トラックのセッションが2日間に渡って開催されました。セッションの企画には、翔泳社以外のメンバーからなるコンテンツ委員会にご協力いただき、多くの技術コミュニティに参加いただきました。現在のデブサミでも基本的な部分は変わっていません。

デブサミの構想がスタートした当時、ソフトウェア開発者向けの大規模カンファレンスといえば、ベンダーが自社の製品を売ることを最終的な目的にしたものばかり。中立的な立場でテクノロジーを網羅したものは皆無でした。また、新人研修以外で研修をしているSIerは30%以下で、ソフトウェア開発者は自分で学ばなければならない状況がありました(注1)。

「デベロッパーの交流と知のシェアをすることで世の中を変えたい」

デブサミ発足当時のコンテンツの取りまとめ役だった岩切晃子さん(@kohsei)はそう考え、プロジェクトがスタート。以降は現在に至るまで少しずつ形を変えながら、でも根源的な思いは変わらず、これまで開催してきました。

東京のデブサミに参加したことがある方は「デブサミと言えば雅叙園」のイメージが強いかもしれません。デブサミ2006からは、東京・目黒区にある目黒雅叙園(現:ホテル雅叙園東京)という、結婚式場としても使われるきらびやかなホテルで開催するようになりました。5セッションが1フロアで実現できるという運営上の都合もありますが、海外カンファレンスのような高揚感を日本でも演出したい、といった狙いもありました。実際、非日常な空気感を楽しんでくださった方は多くいらっしゃるのではと思います。

ホテル雅叙園東京での開催の様子(デブサミ2020)

2011年には、デブサミ10回目を迎えるまでのカウントダウン企画として、初の地方開催を実施しました。初めての開催地として選んだのは仙台。2011年の東日本大震災での被災地を応援したい、そうした思いがあったからです。

そして同年9月には、神戸にて「デブサミ関西」を開催しました。神戸の地を選んだのは、阪神淡路大震災から復興した地という理由もあり、東北から神戸へ希望のリレーを伝えたいという願いが込められていました。

2012年からは夏期開催の「デブサミ夏」、2015年からは福岡開催の「デブサミ福岡」が立ち上がり、デブサミはどんどん拡大していくことになります。

注1…初代のデブサミ取りまとめ役である、岩切晃子さんのスライドより https://www.slideshare.net/iwakiri/1000conf-4th-iwakiri

私とデブサミとの関わり

デブサミのこれまでについて紹介してきましたが、ここまでの段階では、私はまだデブサミの中の人ではありませんでした。ここからは、少し私の話をさせてください。

私は編集者の仕事をしていますが、編集者というと、「本が好きで、どうしても出版社で働きたい人がなる」というイメージがある方も多いかもしれません。私はどちらかというと、読書が苦手で、出版社はもっと本が好きな人が行くものだと思っていました。

学生時代に建築を専攻していた私は、Twitterを通じてさまざまな人と出会い、「ギークハウス」というエンジニアが集まるシェアハウスに出入りしていたことがきっかけで「インターネットって、エンジニアって面白い!」と思うようになりました。そして建築よりも、ITエンジニアと一緒に働けるようなWebサービスに関わる仕事がしたいと考えたのです。

修士課程まで建築を専攻していた私は、異業種ということもありIT業界への就活は苦戦しました。就活をするなかで、ブログやSNSなどに文章を書くことが好きで、勧められるがままに専門誌の編集者の仕事を受けてみると「こういう仕事もいいかも」と思えました。その企業は落ちてしまったのですが、「専門性の強い編集者」という方向性に絞ることで手応えを感じるようになり、最終的に出会ったのが翔泳社でした。

そうして私が翔泳社に入社したのは2014年のこと。配属希望の面談で、インターネットで発信をしたいことと、ITエンジニア向けの技術を扱いたいことを伝え、CodeZine編集部の一員となりました。「エンジニアと一緒に働きたい」という思いは、ある意味日本中のエンジニアが仕事相手になる、という形で叶えられたのです。

デブサミに関しては、CodeZineの編集部員としてしばらくは少し企画のお手伝いをするくらいでした。ところが入社3年を迎えようとしたタイミングで、岩切さんの後を継いでオーガナイザーを務めていた鍋島理人さんが、2017年3月をもって翔泳社を退職することになったのです。デブサミの引き継ぎの話になったとき、コミュニティによく出入りをしていた、エンジニアの集まりが好きだった私だからこそできることだと思い「私がデブサミをやりたい」と申し出ました。

最初は、コンテンツ委員会の会議のファシリテーションもたどたどしく、イベントのテーマを考えるにも時間がかかり、自分一人ではなにも生み出せない状況でした。企画の相談をしていた方に「近藤さんはデブサミをどんな場にしたいのか」と問われ、うまく答えられず悔しい思いをしたこともありました。そんな私でも、エンジニアのみなさんや社内メンバーのたくさんの力を借りられたことは感謝しきれません。

そうして迎えたイベント当日は、関わってくださるみなさんが、デブサミを大事な場所と感じ、準備いただいたことをたくさん実感しました。参加してくださった方から「なんかデブサミ変わったね」と言ってもらえたときには、私ならではのものができたのかもしれないと、安堵したことを覚えています。

デブサミから派生した「Developers Boost」の立ち上げ

デブサミオーガナイザーとしての1年目はなんとか役目を果たせました。しかし、デブサミがこれまで培ってきたブランドの力も大きく、自分がどれだけそこに貢献できているのかと、悩ましく思うところもありました。私、そして翔泳社のデブサミチームの次の挑戦は、若手ITエンジニアのためのイベントです。

どんなコミュニティにも「新しい人に入ってほしい」という新陳代謝の課題はありますが、デブサミも開催から15年が経過し、もっと若い方にデブサミに参加してもらいたい、登壇してもらいたいと思いながらも、なかなかそれが実現できていませんでした。

そこでデブサミチームでは、30歳以下若手ITエンジニアのためのカンファレンス「Developers Boost(デブスト)(2018年12月開催) 」を新たに立ち上げました。

イベントの構想を考える際、デブストの登壇・参加対象者になるような若手エンジニアの方に話を聞きました。その中で「同世代で、自分がやっていないすごいことをしている人の話を聞くと刺激を受ける」という意見をヒントに、どのような場を作りたいか、考えを巡らせました。

デブサミがサミット(=山の頂上であり、首脳会談のような場所)であるとしたら、若手向けのカンファレンスはデベロッパーとしての頂点を目指し高めあう場でありたい。同僚が「Developers Boost」という名前を提案してくれ、「若手ITエンジニアの成長と交流をブーストする」というキャッチコピーも生まれました。

デブストにおいて、私は、セッションや懇親会の企画、参加者体験を良くするための工夫などを行ってきました。例えばセッション時間は、デブサミでは45分間前後の長めのセッションが基本でしたが、デブストでは20分間をベースにしています。これは、若手エンジニアが登壇しやすい時間でありながら、LT(ライトニングトーク)よりもしっかり話せる時間をイメージして設計しています。

デブサミとはまた違ったイベントに見せたく、ロゴやキャラクターの制作、タイムテーブルの設計、スタッフやスピーカー用のTシャツの制作を行い、司会台本まで若手向けのイベントになるように調整しています。

Developers Boostの会場の様子

ゼロから始めた新しいイベント。前日の時点では「もうやれることはやったのでなるようになれ」という気持ちと、「どうなるか不安だ」という気持ちがないまぜの状態でした。当日を迎えてみると、セッションも盛り上がり、ブースも賑わって、懇親会も楽しかった。もっとこうしたら良かったといった反省点もいっぱいありつつも、若手エンジニアの方の熱量に助けられました。

このデブスト、30歳以下の若手向けイベントということもあり「なんとか30代の前半までには後進に譲りたい」と思っていました。2020年開催のデブスト2020からは、CodeZine編集部の若手メンバーが引っ張ってくれています。こうしてバトンを渡せたことも、嬉しく思っています。

オフラインのデブサミは一つの集大成へ

デブサミオーガナイザー3年目となる2019年度は、デブスト関西の初開催、デブサミ2020で初の6トラック編成や、オフィシャル懇親会の開催など、新たな挑戦を続けました。

2020年2月に開催したデブサミ2020。ちょうど新型コロナウイルス感染症が不安視され始め、IT系イベントの中止が相次ぐちょうど直前のころでしたが、私のなかでも集大成と言えるような、そんなイベントとなりました。

デブサミにおいて、「全体テーマを決める」のは私の大きな役割の一つ。ソフトウェア開発に関してさまざまなテーマを扱うデブサミにおいて、今年らしい一つのスローガンのようなものにしたいと、デブサミ2020のテーマは「ともにつくる」としました。

デブサミ2020の懇親会での集合写真

コンテンツ委員の一人である菅原のびすけさんは「カンファレンスでフォーカスするテーマやセッションは、その領域における解像度を上げる」と言っていました。実際「ともにつくる」に呼応したセッションが数多く寄せられ、登壇者の中には「登壇前は、この言葉に色々と想いを馳せた」と言ってくださった方もいました。

デブサミのテーマは、来場者に向けてのメッセージでもあるし、デブサミで登壇いただく方に向き合っていただく命題でもある。改めて、たいへんやりがいのあることをやらせていただいたんだなと思いました。

デブサミのオーガナイザーとしての3年間の取り組みで、自分の視座に大きな変化が訪れました。

オーガナイザーとしての最初の1年目、デブサミは他のカンファレンスに比べて「自分たちはレガシーでイケてないのでは」と思う部分がありました。デブサミが初めて開催されたときに比べ、ITエンジニア向けのカンファレンスやイベントの選択肢が増えた結果、デブサミの価値は相対的に低くなってしまったのではと思ったのです。「もっとキラキラした話を届けたい」、今思うとそのようにもがいていたかもしれません。

でも今は、さまざまな課題感の方に参加していただていることはデブサミの強みだと感じています。それだけエンジニア個人と世の中の課題を解決できるポテンシャルがあるから。

とある勉強会で出会った方が「デブサミがきっかけで他の勉強会に行くようになりました!」と力強く話してくださったのを聞いて、デブサミを通じて日本を変えられるかもしれないという、強い可能性を感じました。

この年、私の新しいチャレンジとして「DEVREL/JAPAN CONFERENCE 2019」において「編集者視点でのテックカンファレンスの作り方」というテーマで発表しました。これはデブサミの作り方について紹介したもので、初めて公募に当選し、登壇の機会を得たものです。登壇内容を考えるなかで、自分がいたからこそデブサミが良くなった、と思える部分が確かにあると感じました。

編集者として、さまざまな人と対話をしながら、時流にあったテーマを考え、サイトのビジュアルやセッション企画によって世界観を作っていく。人が集まる空間が好きだからこそ、参加者が楽しんでいる様子が目に浮かぶ企画を考える。コミュニティが好きで、楽しんでいるエンジニアの仲間になりたく、思わず登壇したり同人誌を書いたりまでしてしまうからこそアウトプットする人の気持ちに寄り添える。

この頃の私は「デブサミをどんな場にしたいか」という問いには、自信をもって答えられるようになったと思います。

コロナ禍でのオンライン化のチャレンジ

新型コロナウイルス感染症の影響で、2020年に開催したデブサミ、デブストはすべてオンライン開催となりました。当初、デブサミをオンラインで開催するのは「とてもできそうにない」と不安でした。この不安は、主には以下のような背景からです。

  • リアルの会場や双方向の交流がないデブサミには、誰も参加の価値を感じてくれないのではないか
  • スピーカーやコンテンツ委員といった方々の協力が得にくいのではないか
  • コロナ禍で自分のインプットが減っているなか、企画が作れないのではないか

これは、最終的には杞憂に終わりました。変わらず応援してくださり、楽しんでくださったみなさんの存在のおかげで、これまでの1年間、コロナ禍の状況で試行錯誤を続けてくることができました。

ここからは、主に2021年2月に開催したデブサミ2021での取り組みをご紹介します。

ミッションの策定

デブサミ2021の動き出しにあわせて、ミッション・ビジョン・バリューを策定しました。

オンラインになったデブサミでも、スピーカー、コンテンツ委員会、スポンサーなどさまざまな方に協力していただくには「私達はこのようなことを実現したい。だから力を貸してほしい」と発信する必要がある、と思ったのです。

出版社である翔泳社がこのイベントをやる社会的意義を考えつづけた結果、浮かんできたのが以下のメッセージです。

「デベロッパーをスターにし、世の中のアップデートを加速する」。

デブサミのミッション・ビジョン・バリュー(デブサミポータルサイトより https://event.shoeisha.jp/devsumi

出版やメディア事業を行う企業が主催するイベントだからこそ、誰かの知見や思いを、まるで技術書を全国に流通させるかのように、広く遠くに届けることができるのではと思ったのです。

スターにしたいのは、スピーカーはもちろん、関わっているすべての方です。セッションを聞いて前向きなアクションを起こそうとした方。デベロッパーと広く深くリーチをして、世の中にいいアクションを起こそうとされているスポンサーのみなさん。そういった多様な方が学び、チャンスを得て、組織や社会、家族や友人など身の回りの方々から尊重される。そのポジティブさが循環し、いいプロダクトを生み出すなどの価値提供につながり、世の中のアップデートにつながる。そのように考えました。

このミッションは、サイトに掲載したり、コンテンツ委員やスピーカーへのお声がけの際に使用したり、デブサミ本番冒頭の主催者挨拶で使用したりしました。

コンテンツ委員会の存在

デブサミ2021では、今回もコンテンツ委員会にご協力いただきました。今回はZoomでミーティングを開催しましたが、口頭、スプレッドシート、チャットと多角的に意見が展開され、濃密なミーティングになりとても楽しかったです。委員のみなさんからも「みなさんの意見が刺激になった」とも言っていただき、いい場となったことを嬉しく思いました。

その結果、当初の「企画が作れないのではないか」という懸念に反して、例年よりもスムーズに企画をまとめることができました。

デブサミ2021のテーマである「We are New Normal」も、コンテンツ委員会のキックオフの場で「今回のデブサミはどんな感じにしていきたい?」という問いに「エンジニアリングの民主化」というキーワードが揃いました。それをうまく表す表現として「私たちデベロッパーはNew Normalを体現しているんだ」という思いを込めて、このテーマを採用しました。

双方向のコミュニケーションの実現

オンラインイベントは、ネット環境さえ整えば、どこにいても参加できるなどの良い面が多くあります。しかし、スピーカーにとってはオーディエンスの反響が得にくい、参加者同士での会話が難しい、などの双方向のコミュニケーション面で課題がありました。

デブサミ2021での新しい取り組みの最たるものは、オンラインイベントのためのプラットフォーム「EventIn」を利用しての、Ask the Spaeker、企業・コミュニティブース、懇親会の実施です。

EventInに参加した方からは「オンラインでも変わらず話せて嬉しい」「セッションを聞きに来てくださった方きっかけで別の登壇のお引き合いがあった」という意見を聞けました。私も、お知り合いに話しかけることができ、オフラインイベントで「いつもお世話になっている人に挨拶する」という経験ができたのも楽しい体験でした。

懇親会では参加者全員でチャットで盛り上がり、「楽しかった!」といった温かい言葉が並びました。あまりに感激したので、辛くなったときに見返そうと思い20枚くらいに分割してスクショを撮ったほどでした。

どんな形態になっても変わらないもの

デブサミは、毎年「もうこれ以上のものは作れない!」と思いながら企画をしているのに、年々良くなっていると感じます。それは今回も一緒でした。スピーカーのみなさんには、オンラインでも変わらず全力を出し切り、素晴らしい講演をしてくださったからです。

そしてスピーカーはもちろん、スポンサー、参加者のみなさんが、デブサミを楽しんでくださった。きっと楽しんでくださるだろうとイメージできたから、心置きなく新しいチャレンジをすることができた。本当にありがたいことだと思います。

20年目を前にしたデブサミが目指すものとは

デブサミに限らず、ITエンジニアにとってのコミュニティは、組織の枠を超えて知見を持ち寄り、ともにいい方向を目指す場だと思います。デブサミが始まってから世の中の状況や、ITエンジニアを取り巻く状況は大きく変化しましたが、デブサミとして大切にしてきたことは変わらずとも、時代の変化にあわせてチャレンジし続けることが、応援してくださるエンジニアさんへのギフトになると信じています。

2020年6月のCodeZine 15周年を機に、私はCodeZineの編集長に就任しました。今の私のチャレンジは、デブサミやデブスト、CodeZineもあわせて、日本中のデベロッパーがスターになる応援をすること。デブサミで刺激を受けた方が、組織やコミュニティで前向きな行動を起こし、それから得た知見を共有していくうちに、いつかデブサミの登壇者になる。そのようなポジティブな行動を起こせるきっかけとなる場をたくさん生み出したいと考えています。これからもぜひ、応援していただけると嬉しいです。